シニアのパソコン考 | 令和シニア世代のパソコンのススメ
シニアから始めるパソコン。
人によっては色々な事がきっかけで、この年になってパソコンをススメられたリ、苦学したり、そして楽しんでいる事でしょう。
折角なのでここは一念発起してこれを機に是非、楽しんでいただきたいモノです。
というのもパソコンに馴染めばなじむ程、必ず面白さが沸いてきます。
パソコンとの付き合いを生涯学習にしても、良いくらいです。
なぜなら、パソコンは日進月歩であらゆる意味において拡張しているから。
可能な事が、広がっています。
パソコンは可能性の宝庫が詰まっている箱です。
シニアな私たちにもその恩恵に預かれます。
先端技術や広角でパソコンを通して、あらゆるモノを観たり、聞いたり、知る事が出来ます。
しかも時短で、双方向で・・・。
私たちが子供の頃、TV電話でさへ未来の夢だった。
今ではTV電話の発想すら、過去の概念なのかもしれません。
キーボードを叩けさへすればいくらでも知りたい事が、TVやラジオより多く早く何時でも何処でもが可能な時代です。
パソコンが触れるメリットは双方向で通信が可能な事や、資産の構築にも繋がるので仕事も出来るという事です。
好きな事を仕事にできる。
アルファベットもキーボードもその操作方法はホンの数日で、苦も無く理解できてカチャカチャ打てるようになります。
福沢さんではないけれど、パソコンを味方にすれば、福沢さんと仲良くなれるかもしれません。
学問のススメは今のシニアにとっては、パソコンのススメです。
健康・長寿を目指して、パソコンを通して世間へ社会へ貢献も出来ます。
生き甲斐すら掴めるかもしれません。
モニター(画面)は仮想とはいえすべてがそうではなく、今を現実を映し出してもくれます。
その情報量は旧メディア(TVやラジオ)を凌駕しています。
生涯学習、真理の追及には旧メディアでは、それを叶える事は難しいかもしれません。
けれどもパソコンなら、あなたの好きな時に好きな事をリアルタイムで、詳細にわたり、自ら積極的に検索する事が、出来ます。
パソコンは検索する事で、あなたの人生を今より豊かにスリリングで、刺激的な彩あふれる日々を提供する事さへ叶えてくれます。
ただし、それを実現するのはあなた自身の行動、パソコンとの取り組み方に大きく依存します。
あなた次第です。
シニアこそパソコンを活用すべきと言えます。
取っつきにくいパソコンも日々の学習で、手放せないグッズになる事、請け合います。
パソコンのスキルを身に付けましょう。
※ 福沢諭吉は咸臨丸に是非とも乗船したかった。
そして米国へ赴きたかった。
日本人では終始船酔いせず健康的に帰還できたのは彼くらいで、他の乗船者たちは概ねひどい船酔いに悩まされたそうです。
海舟も酔っていたそうです。
咸臨丸で帰国した米国人たちは、全く酔わなかったそうです。
ちなみに行きも帰りも米国の船乗りには一切航海の折には、世話にならなかったそうです。
海舟を始め素人同然の船乗りたちの初の海外渡航だったそうです。
提督だった木村摂津守は、幕府の予算を超える金子を家財道具を売り払ってこの航海に臨んだそうです。
帰路、米国の海軍は咸臨丸を修理してくれたそうで、その代金を支払おうとしたところ、断られて致し方なく海軍の未亡人の施設に寄付したと言う事です。
シニアのパソコン考 | 令和シニア世代への出師表
五丈原で孔明は病に斃れ、仲達は奔走を余儀なくされた故事は涙を誘う物語でした。
巨人の星では、仇に襲われてドブ板を踏み外した龍馬が、死ぬ間際まで前を向いて歩み続けたエピソードを一徹が、飛雄馬に諭していたシーンがあった様な気がします。
日頃口やかましい宰相、晏嬰の危篤を知り、愚昧な君主景公をひどく落胆させ彼をヨロヨロと帰途に就かせた晏嬰の死は斉一国にまで及んで、多くの人々が今なお彼の偉業を伝え話したという昔話。
崔杼の君主殺害事件というエピソードもあって、当時の斉の話は良く聴かされていた様な記憶があります。
戦中・戦後世代をギリギリ親に持つ私たちは、耳にタコができるくらいそんな昔話を聞かされたものでした。
天勾践を空しうすること莫れ、時に范蠡(はんれい)無きにしも非ず。
後醍醐天皇・楠木正成・足利尊氏に加えて、テストには絶対に出てこない児島高徳(たかのり)や、我に七難八苦を与えたまへ・・・と三日月に願った山中鹿之助。
長岡藩の河合継之助や栗林 忠道陸軍大将の話は、私たちが最後の聞き手役の世代だったかもしれません。
義務教育で出てくるのは、後醍醐天皇と足利尊氏くらいで、ギリギリ楠公くらいまで・・・。
勝負の世界では涙をのんだ歴史的人物の話が多くて、ハッピーエンドを期待してる子どもたちには少々コクな話を聞かされた印象です。
そう言えばアニメの神様、手塚治虫もアトムやレオに酷な最期を残しています。
周りのスタッフや関係者の中には結構反対した人も少なくなかったそうです。
けれども手塚治虫は悲劇を子供にたちに伝えたかったと・・・。
考えて見れば、ギリシャ悲劇や歌舞伎での悲話などは涙を誘って、ヒトの情や優しさを失わせないための作品だったのかもしれません。
ハリウッドが全盛の頃も、すべてがハッピーエンドな映画ばかりではなくて、複雑な気持ちにさせられる映画も多かった。
フランスやイタリアの名作も今の世代の人々には馴染みが薄いかもしれません。
鉄道員とか自転車泥棒、道、死刑台のエレベーター、太陽が一杯、ひまわり等々・・・。
私たちの世代が色濃くその光彩の記憶を知っている時代なのかもしれません。
時の流れは無常です。
その様な中で、私たちの経験した事や記憶がどこかで小さな話題になったりするかもしれません。
色々な切り口で、世間は物語に興味を持っています。
あなたの心の奥に沈殿しているお話をパソコンで新たな作品にして、あるいは今のビジネスをパソコンを活用して趣味と実益を期待出来るかもしれません。
パソコンはインプットとアウトプットできる魅力ある躯体の一つです。
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