YouTubeからの情報は無限大
グーグル検索や、ユーチューブからは色々な情報を入手する事が出来ます。
多くの人々の意見や公開したい内容を日を追うにつれて、それらのメディアに投稿されて行きます。
今や引きこもりの生徒も、PCさへあれば自宅ででも学習できるくらい、その内容は豊富です。
知りたい事は検索すれば、PCですぐに解決できる世の中になりました。
世間はスマホやPCで検索します。
悩みや、お気に入り、脳内に思い付いたあらゆる知りたい事は”検索”で取り敢えず、情報を得る事が出来る世の中。
なので、シニアなインターネットビジネスマンは、それらの”検索”という行為を通して収入の流れを自分のサイトに引き込むように工夫すれば、海に仕掛けた魚を追い込む仕掛けの様に、収入が流入してくるような図が思い出されたりします。

このイラストは無料イラストです。
農林水産省、漁業種類イラスト集で紹介されているイラストで、
ここでは、漁業に対する理解を深めるために、主な漁業種類のイメージが一目でわかるイラストを掲載します。なお、イラストは著作権フリーですので、ご自由にご使用ください。
ということで使用が許されている無料イラストです。
ブログで書く事にストップがかかって、書く事が出来ないという状況を打破する一つに他力を借りて、自力でコンテンツを仕上げる一つの方法として、考えて下されば幸いです。
一例|神話についての徒然

現時点、世界最高の磨製石器が出土されたことで、日本人のルーツは概ねその辺りというイメージがされていて、結構長い間日本人はこの列島で生活をしているという事になります。
その間の一時は文字を持たずに口伝で物語が伝承されてそれが、神話へと熟成されてきたのかもしれません。
おそらくはそんなこんなで、日本の神話へと昇華されたのではないでしょうか。
やがて人口も増えてきて集団の数や人口も肥大化して、日本人は10,000年以上にわたって狩猟採集生活を営んでいた。
農耕を覚えて日本人は縄文時代を弥生時代へと日々の生活に変革を取り入れた。
大陸では3,100~3,400年前頃に甲骨文字が活用されるようになって、甲骨文字が漢字になって日本に登場するのが1世紀頃だというから、甲骨文字からなら日本では、1,000年以上経ってから文字を知るようになったと・・・。
飛鳥時代になって聖徳太子(厩戸皇子)が十七条の憲法を制定したのが、604年。
古事記が編纂されたのが、720年。
記紀は仏教が伝来されてから100年後くらいに編纂された。
十七条の憲法には、篤く三宝を敬えと言われて、それまでの神々にかけて十七条にしたという説があります。
1. 雨之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
2. 高御産巣日神(たかひむすひのかみ)
3. 神産巣日神(かみむすひのかみ)
4. 宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)
5. 天之常立神(あめのとこたちのかみ)
6. 国之常立神(くにのとこたちのかみ)
7. 豊雲野神(とよくものかみ)
8.9. 宇比地邇神・須比地邇神(うひちにのかみ・すひちにのかみ)
10.11. 角木片に代神・活木片に代神(つのくひのかみ・いくくひのかみ)
12.13. 意富斗能地神・大斗乃弁神(おほとのちのかみ・おほとのへのかみ)
14.15. 於母陀琉神・阿夜詞志古泥神(おもたるのかみ・あやかしこねのかみ)
16.17. 伊邪那岐神・伊耶那美神(いさなきのかみ・いざなみのかみ)
以上の十七柱の神々にかけて十七条の憲法を制定されたと・・・。
これが帝国憲法まで神話のエッセンスが、挿入されていて日本人には今より深い神話が日々の生活に深く浸透していたイメージです。
最後の終戦を迎えて今まで神話の濃度がこの国では、希釈されたかのような印象も否めません。
生前、歴史学者アーノルド・J・トインビーは、子どもの頃に神話を教えてあげないと亡国の憂き目に遭うと言っていたとか・・・。
という事で、記紀は小さい頃から教えてあげてあげたいお話しだとも思うのです。
当の自分自身すら上述の神々の中で知っているのは、数柱・・・(>_<)
トインビーの言が正しければ、亡国の憂き目に遭いそうなお国が、近い将来にも現れるのでしょうか・・・?
そもそも人類は物語が大好きな生き物なのだから、神話をもっと拡散されてもよさそうな気もします。
神話には長年培ってきた悲喜こもごものお話、伝え残しておきたい言霊が包まれている印象があります。
神話にはそんな奥の深いマークが潜んでいそうで、そこには民族の多様性を匂わせてくれていて、それは地球上の生物の宿命の多様性の維持に繋がっていて、どちらかと言えば神話の語り継ぎは至極健全なイメージな気もします。
一例|YouTubeで観た弘法大師・空海のお話
空海は最澄と並ぶ平安時代の高僧です。
“弘法も筆の誤り”というフレーズもある通り、”書”に長けた偉いお坊さん。
知らず知らずのうちにこのお坊さんの名前を記憶している人も、少なくはないでしょう。
高野山は有名なお寺だし、小学生で歴史にも登場しているので、覚えている人も多いでしょう。
ユーチューブで観た弘法大師では、三つのキーワードで彼の偉業を解説していました。
それは、以下の三つ。
弘法大師は今の香川県、善通寺市で生まれて京へ勉学に赴いてそこで励んで、しかしながらアッという間に、それらに飽き足らず海外留学を決意し、そして留学しました。
唐の高僧の下、わずか数年の修行で教えを会得して帰国を決意、再び故国へ帰郷しました。
当時は船での海外留学は、命懸け。
行きの到着はかなり離れた場所だったそうで、中々入国を許可されなかったそうです。
そこで空海が一筆文章を携えて、役人に入国の嘆願をしたら、高官の元にその文は届けられて、許可されたそうです。
彼の文章に秘められた学識が、日本の高僧の到来を告げたというお話です。
そしてほどなく帰郷して、仏像や書、曼荼羅を通して世間に仏の教えを説いたというお話です。
1.仏像
空海が唐での修行を終えて、帰国して行なった仕事は、仏像を作成する事だった。
それも今までには無かった仏像を彫らせたそうです。
憤怒を現す木像を始めとする、表情豊かな密教の木像。
その目的は見えざるものを見せるための木像。
立体曼荼羅。
言葉では語りつくせない密教の教えを、悟るための木像だったそうです。

2.書
“弘法にも筆の誤り”と言われるほど、空海の書は国宝クラスの遺産の書物です。
それらを今の著名な書生の皆様が、見分して色々と解説してくれています。
墨と筆を使って肉筆で書かれた文字には、広くて深い情報が内包されていて見る人が見れば、伝わってくる時空を超えた情報がある様です。
その解説を聞いていると、当時の空海が脳内に思い浮かんでくる様です。
若かりし弘法大師のイメージが脳内を過ぎって、偉人の残した歴史のヒダに触れた思いを感じさせてくれたりします。
東寺や高野山を訪れた時のあの荘厳な感覚・・・・。
空海の遺産がなお、語り掛けてくれるそのエネルギーは、正しく空海は今も生きていると言えるでしょう。
私たちに悟る事を教えてくれている様です。
3.曼荼羅
曼荼羅とは、宇宙を描いた密教の図という印象があります。
その意味を知らずに、よく曼荼羅を眺めたりしていました。
緻密な描法、多くの時間を費やして描かれた曼荼羅にこめられた情報。
ソコには少なからず、密教の世界観があるのだろうとは納得していましたが、その発想はそこで止まったきり・・・。
空海は多くの人々に曼荼羅をもってきっと、多くの事を教えていたのかもしれません。
今を生きる私たちには、言い伝えられてきた言葉やコンテンツで理解するしか術はありません。
曼荼羅には京都の東寺にある立体曼荼羅も、私たちに語り掛けてくれる遺産です。
大日如来は人と仏が一体であるという事を示していると、この番組では話していました。
印度で産まれた仏教は大陸を伝播して、この国にも伝わりました。
“お寺 = 宗教”の方程式は、誰の脳裏にもある事でしょう。
一方で、哲学的、真理の追及を今なお辞めない、人間のサガを感じたりします。
弘法大師は密教で、仏像・書・曼荼羅で私たちにその真理を語り掛けてくれている様な気がします。
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コンテンツは思いのほか何時でも何処でも、安産できそうだとは思いませんか・・・?
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